ケースバイケースで
毎朝顔を洗う際、この水道水を
売り出せば、一儲けできそうだなー」
などと考えているが、顔が水に触れた瞬間
「みずつめてえ」
に一蹴される。
そんなしょーもない毎朝を過ごしてる日々の中にも何かしらの出来事は起こっていて
吉田沙保里の引退や、純烈のどなたかのDVおかねぜんぶけいばにつかっちゃったスキャンダルなどなど。
そしてレーダーを当てたがりな隣国もいらっしゃって、
最初は「あててないよ」と言い張るものの
何日かしたら「違うレーダーなんだよお」と後付けしてきたり。
その後も違う言い分を並べて、
ものすごい勢いで二転三転を繰り返していき、ついにはロンダートもしそう。
ロンダートはしないまでも、
これは嘘を嘘で塗り固めて言い訳にすらなっていないし、
ただ自分の首を自分で絞めて墓穴をひたすらに掘っているだけなのでかなり見苦しい。
こんな負のスパイラルに陥ってしまうのには原因がざっくり一つある。
ケースバイケースで対応する能力が著しく欠けているからである。
断言をしたり、極論に振り切れていたりするのだ。
フワッと、お茶を濁していけばいい。
そう、ケースバイケースで対応する能力こそ言い訳において、もとい、生きる上で最も重要で必要な能力なのだ。(異論はかなり認める)
ここからはケーバイと略させていただく。
ケーバイすることができれば言い訳なんてお茶の子さいさい。
ましてやそのまま言い逃れすることだってできる。
ケーバイがうまい奴ほど人間関係も円滑に進むし、出世するし、
とにかくいい。
しかしながらケーバイができていない人が多数いるのも事実。
ましてや韓国だけではなく
この国にもむかしからケーバイ欠如者は多く存在するのだ。
今日はこれを改めて見直していこうと思う。
むかしから日本にあって断言や振り切れた極論など、
はっきりしすぎてしまっているもの。
それは、ことわざである。
こいつはかなりうさん臭い。
そのうえ、この国の人々は教育上これらに触れて育っていくため、
自然とケーバイが欠如しがちになってしまう。
代表例をいくつか紹介しよう。
まずはことわざから
- 犬も歩けば棒に当たる
当たらない。まず当たらない。このことわざのせいで
あたかも犬は棒に当たるものだと思われてしまっている。棒と歩くことに関して、犬はコンプレックスを感じているに違いない。
犬側からしたらたまったものじゃない。
そんなどっかのソシャゲの限定ssrを単発で射貫くような確率で起こることを
当たり前のようにことわざにされても大変困る。
もしも当たった場合のことをことわざにするのであれば、
「犬も歩けば棒に当たらない」という、当たらない場合のほうも
ことわざにしてほしいものだ。
大体これ、仮に人に置き換えると
「人もうんこもらす」だから。まじで。
いわんとしてることおなじだからね。
そもそも棒ってなんだよ。アバウトだな。電柱ならピンとくるけども、
その他に犬が歩く視野に犬がぶつかるサイズの棒が立ったまんま置いてあるなんてことあんの?
ねえよ。
お次もことわざ
- 二階から目薬
なんで。降りて来いよ。
物事が難しくてうまくいかないさまをいうらしいけど、
二階から目薬をさしてしまうような横着なやつは
なにやったってうまくいかない。
思い切りの良さは違ったベクトルで発揮してほしい。
そもそも目薬を差すことにおいてここは何階かなんて野暮なことは
誰も気にしない。
横着な部分を治して「一階で目薬」にしたとて、
こいつはまだまだ十分ヤバいやつである。
最後のことわざ
- 石の上にも三年
いれない。絶対無理。
これはシンプルに、石の上に三年もいる奴はバカだし、どうにかしている。
時間をどぶに捨てても構わないと思っているのだろう。
大体どうやって過ごす。睡眠は?食事は?汚い話だけど排便は?
石の上で三年も寝たら、手術が必要なレベルのヘルニアになる。
地上に三年ぶりに降り立った際、まず向かうのは大きな病院。
全く生産性がない。
次に食事。最初の数日は持ち込んだもので飢えをしのいでいくのだろうけど、
残りの2年と360日は石の上で自給自足生活をしていかなきゃだめ。
石の上には食料はないし、だまっていたら餓死しちゃう。
そこで苦肉の策で石を食べ始める。3年たった時に石はなくなってしまった。
これでは本末転倒。
最後に排便。言わなくてもわかると思うけども、
三年分のソレがあたりに常にある。
石の上にいなければならないわけだから、これはどうしようもなくかなりキツい。
しかしこれ、石の上にも三年もいれば冷たい石でも温かくなる、といった由来らしいが
30いや3分でよくね。結構人がいたとこってすぐあったかくなるもんだよ。
「石の上に3分」
よしこれにしよう。
中国にもうさん臭いものがあった。
いわずと知れた四字熟語である。
まずはこちら
いやたまたまよ。だんだん暖かくなってきた気候のことらしいけども、
決まって三寒く四温かいわけではなくて、
五寒かったり二寒いことだって十分ありえる。
そんないつかのたまたまをいちいち四字熟語にされてもって感じ。
他の四字熟語に失礼だし
無理やり四字熟語にしてしまった感が否めない。
お次はこちら
- 四苦八苦
そろそろ報われてほしい。つらい。見てるこっちがつらい。
大体こういうのってすごいつらかったけど、
最後は報われましたみたいなもんがテンプレなんじゃないの。
ただつらいだけで全く物語性がないし、
シンプルにわざわざ四文字使って苦しみをあたえに来ている。
四苦しかったのに、さらに八苦しみに行くとか
もうそれあんま苦しくないんじゃないの?とか思っちゃう。
七転八倒しかり、
もうちょい明るくいこうぜ。
最後はこちら
- 臥薪嘗胆
ムズい。基本読めないし、読めたところで「あぁ~」ってなるだけ。
一文字一文字に全くゆかりがないし
「ちょっと読めないムズいやつ作ろうぜww」っていう
作者の動機がひしひし伝わる。だから意味は後付け。
それかQ~さま用に作った四字熟語。
一応意味は目的を達成するため、長い年月苦労に耐えることらしい。
四苦八苦よりはいいかな。
それにしても中国人がめっちゃ苦労してんだなってのがわかった。
こんなにふざけたことわざや四字熟語が世に出回っていて、
もう怒り心頭なのだが
とりあえず疲れた。
まとめ(贖罪)
調子に乗りました。長いことしょーもないことをつらつらと。
最初の言い訳とかケースバイケースの話とかどこいったのって感じだし、
でまかせばかりでした。
特にことわざや四字熟語になんらかの形で携わっている方々、本当に
ごめんなさい
追記
親に言い訳はしないように
ケースバイケースで言い逃れする能力を身につけるより
親の言うことに従う素直さを身につけましょう
実体験より